大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和33年(行)131号 判決

原告 国

被告 中央労働委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

原告指定代理人は「被告が昭和三三年(不再)第五号事件について昭和三三年八月二〇日付でした命令を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は主文同旨の判決を求めた。

第二、請求の原因

一、被告が別紙命令書のような救済命令を発するに至つた経過

(一)  原告は、訴外佐藤郁子を昭和二六年四月九日、訴外大河原敏子を昭和二五年七月一四日いずれもいわゆる駐留軍労務者として雇傭し、在日米極東陸軍地図局(訴外人らの雇傭された当時は米陸軍第六四基地工兵技術測量大隊と呼称されていたが、その後二回に亘つて名称が変更され、昭和三一年末上記名称となつたものである。)に地形製図技術者として勤務させていたのであるが、昭和三二年二月一四日付の通知により、同月一六日以降佐藤郁子に対し、同月一四日以降大河原敏子に対し、軍の保安上危険であるとの理由によりそれぞれ出勤を停止させ、更に同月二七日付を以て右両名に対しいわゆる保安解雇の意思表示をした。

(二)  佐藤郁子及び大河原敏子はいずれも全駐留軍労働組合(以下「全駐労」という。)東京地区本部地図局支部に加入していたところから、右地区本部及び地図局支部は、昭和三二年四月二六日右両名に対する解雇が労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為であるとして、被告の行政機関である東京都知事を相手方とし、東京都地方労働委員会に救済の申立をしたところ、同委員会は、昭和三二年二月六日付を以て、「被申立人は佐藤郁子、大河原敏子を原職に復帰せしめ、同人らが受ける筈であつた給与相当額を解雇の日に遡つて支給しなければならない。」との救済命令(以下「初審命令」という。)を発した。

(三)  東京都知事は、初審命令を不服として昭和三三年二月二四日被告に対し再審査の申立をしたところ、被告は昭和三三年八月二〇日付を以て、別紙命令書のとおり「本件再審査申立を棄却する。」との命令(以下「本件命令」という。)を発し、同月二三日同命令書の写を東京都知事に交付した。

二、本件命令の瑕疵

本件命令が、佐藤郁子及び大河原敏子の解雇は、右両名がその所属する労働組合の正当な行為をしたことを理由とするものであるから、労働組合法第七条第一号の不当労働行為を構成するものであると認定判断して初審命令を維持したのは、事実を誤認した結果に基くものであつて、本件命令は違法である。

よつて、本件命令の取消を求めるため本訴提起に及んだ次第である。

第三、請求の原因に対する答弁及び本件命令に瑕疵のないことについての被告の主張

一、請求の原因一に記載の事実は認める。

二、原告が訴外佐藤郁子及び同大河原敏子に対して解雇の意思表示をしたについては、被告が別紙命令書の理由中第一において認定した(但し、その二の冒頭中において、佐藤郁子の執行委員就任の年を昭和三三年、その辞任の年を昭和三〇年と認定したのは誤りで、前者は昭和三〇年、後者は昭和三一年が正しい。)とおりの事実が存在したのであるから、被告が別紙命令書の第二において示した判断は正当であり、本件命令には違法はない。

第四、本件命令に瑕疵がないという被告の主張に対する原告の反論

一、被告が別紙命令書の理由中第一において認定した事実についての認否

(一)、「佐藤郁子及び大河原敏子の解雇に至る経緯」とある部分については全部認める。

(二)、「佐藤及び大河原の組合活動」とある部分について

(イ)、冒頭に記載されている右両名の組合経歴に関しては事実を争わない。従つてこの部分についての被告の認定に誤りがあることは主張しない。

(ロ)、(1)の後段に記載されている佐藤郁子及び大河原敏子の勧誘による組合員増加の事実は否認する。佐藤郁子及び大河原敏子の勤務していた職場の日本人従業員は、昭和二九年七月全駐労東京地区本部の支部(以下「組合」という。)を結成したが、組合からの届出によると、組合結成当時における組合員は九九二名の従業員中二七〇名であつて、同年中に組合員の増加した事実はなく、その後昭和三〇年四月に組合からなされた報告によると従業員九六〇名中三〇〇名が当時組合に加入していたにとどまるのである。

(ハ)、(3)に記載されている佐藤郁子の三者会議への出席及びその席上における発言の事実は認める。しかしながら、この三者会議における組合側からの主たる発言は、大木委員長、伊藤書記長、鈴木会計担当者、三浦、長野及び吉田の各委員らによつてなされたものであつて、佐藤郁子の発言は、補助的なものであつたに過ぎないのであつて、同人に対する解雇の理由の一として考慮される程積極的かつ重大なものではなかつたのである。このことは、三者会議における組合側の主要発言者が誰も解雇されていない事実からしても明白である。

(ニ)、その他の事実は知らない。

二、佐藤郁子及び大河原敏子に対する解雇と不当労働行為の不成立

(一)、解雇の経緯

調達庁長官は、昭和三一年八月七日付、同月一一日到達の書面を以て、在日米極東陸軍司令官から、佐藤郁子及び大河原敏子の両名につき日米労務基本契約附属協定第六九号所定の保安基準該当の容疑があるとして意見を求められ(被告が別紙命令書の理由中第一の一において、この求意見の日時を昭和三一年八月八日と認定しているのは誤りである。)調査したところ、同人らが右附属協定第一条a項(3)号に該当するものと認められたので、同年一一月二一日その旨を回答した。

その後昭和三二年二月一三日佐藤郁子及び大河原敏子の勤務先の軍の指揮官から東京都中央渉外労務管理事務所長に対し、保安上の理由による右両名に対する出勤停止及び解雇の要求がなされたところから、既述のとおり同人らに対する出勤停止及び解雇の手続がとられるに至つたのである。

(二)、保安解雇の手続

労務基本契約附属協定第六九号に定めるいわゆる保安解雇の手続には通常の手続と特例の手続との二種類があり、佐藤郁子及び大河原敏子に対する保安解雇は、後者の手続によつてなされたのである。

(イ)、通常の手続

在日米陸軍の現地施設又は部隊の指揮官が駐留軍労務者について保安上の危険がある旨の情報を入手した場合同指揮官は、都道府県渉外労務管理事務所長(以下労管所長という。)に当該労務者の出勤停止を要求するとともに容疑事実に関する意見を徴し、その意見提出をまつて再調査の上、出勤停止を解除するか解雇を勧告するかを決定し、後者の場合には一件書類を附して陸軍司令官に解雇を勧告する。陸軍司令官は、調達庁長官の意見を徴した上、その司令部内に特設されている保安審査委員会に諮問し、その答申に基き当該労務者の解雇を被告に対し要求すべきかどうかを最終的に決定する。

(ロ)、特例の手続

陸軍司令官が駐留軍労務者について保安上の危険がある旨の情報を入手した場合、同司令官は、調達庁長官の意見を徴した上、保安審査委員会に諮問し、その答申に基き当該労務者の解雇を被告に対し要求すべきかどうかを決定し、解雇を要求すべきものと決定した場合には、理由を附して現地施設又は部隊の指揮官にその旨指示する。この場合、現地施設又は部隊の指揮官は、当該労務者に保安上の危険があるかどうかについての認定及びその者を解雇すべきであるかどうかについての決定には全然関与しないのである。

なお、右いずれの手続にあつても、保安審査委員会はもつぱら当該労務者に保安上の危険があるかどうかの点のみに関して審査するだけであつて、答申についてその者の組合活動を斟酌するようなことは全くないのである。

ところで労務基本契約は昭和二六年七月一日日米両国政府間に締結されたものであつて、その第七条に「契約担当官において日本政府の提供した労務者を引き続き雇傭することが米国政府の利益に反すると認めるときは、即時その雇傭を終止する。」との規定が存するのであるが、この規定による保安解雇が適正に行われ、無用の紛争の生ずることをなからしめるため、軍の契約担当官、調達庁長官、及び駐留軍労務者の組織する全駐労その他の労働組合の三者の合意の上に立つて、昭和二九年二月二日軍の契約担当官と調達庁長官との間に前記附属協定第六九号が締結されたのである。そうして労務基本契約及びその附属協定によると、駐留軍労務者を保安解雇すべきかどうかの最終決定権は米軍側にあることは疑いのないところであり、しかも軍が日本人労務者に保安解雇の基準に該当する事実があると認定した場合において、その内容及びこれについての資料を必ずしも明らかにしなければならないものではないとされているのは、そもそも駐留軍が日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約に基いて日本国に駐留する外国軍隊であつて、その任務の性質上高度の機密を保持する必要があることからみてやむを得ないところである。したがつて、軍が駐留軍労務者を保安上の理由により解雇すべきであると決定した以上、被告は必ず当該労務者を解雇しなければならないのである。してみると軍の要求に基いて被告が駐留軍労務者に対してした保安解雇の意思表示は、たとえ被告においてその解雇理由に該当する具体的な事実を明らかにすることができない場合であつても、そのために効力を左右されるものではないといわざるを得ないのである。

(三)  結論

叙上のとおり保安解雇は元来駐留軍労務者に軍の保安上危険があるかどうかという点のみを考慮してなされるものであるから、佐藤郁子及び大河原敏子に対する本件保安解雇についてはそもそも不当労働行為の成立を云々する余地は存せず、これを有効とみるべきであるのに、被告がこれに反する認定判断をしたのは誤りであつて、本件命令は違法であることを免かれない。

第五、本件命令に瑕疵がないことに関する被告の主張の補足(第四に掲げる原告の反論に対する弁駁)

一、佐藤郁子及び大河原敏子の組合活動に関する原告の反論について

(一)、原告が第四の一の(二)の(ロ)において、佐藤郁子及び大河原敏子の勧誘により、その所属組合の組合員が特段に増加した事実はない旨主張しているのは的外れである。被告が別紙命令書の理由中第一の二の(1)において認定したのは、佐藤郁子及び大河原敏子の加入する労働組合(現在の地図局支部)全体における組合員数の増加に関するものではなくして、その一部である、佐藤郁子及び大河原敏子の勤務していた第三四中隊における組合員数の増加についてであり、しかも被告の認定した右事実は初審において尋問された証人大木重盛、三浦幸寿、木下由紀夫、富山郁子、水野昌典、丸山幸子及び功力庸子の各証言(本件において乙第二号証の一、二、乙第三号証の一、二、三及び乙第四号証の二、三として証拠に提出されている。)によつて十分立証されるのである。

(二)、原告は、第四の一の(二)の(ハ)において、佐藤郁子の三者会議における発言は補助的なものに過ぎず、同人に対する解雇の理由の一として考慮される程に積極的かつ重大なものでなかつたとして本件命令における被告の認定判断を攻撃しているけれども、事実に反している。のみならず仮に一歩を譲つて佐藤郁子の発言が原告のいう如く補助的なものに過ぎなかつたとしても、その事実を、被告が本件命令をするについて別に認定した別紙命令書の理由中第一の二の(1)(2)(4)(5)の各事実と綜合するときは、優に佐藤郁子に対する原告の不当労働行為の成立を認めることができるのであるから、原告の右攻撃は理由がない。

二、佐藤郁子及び大河原敏子に対する解雇について不当労働行為の成立する余地がないとする原告の反論について

原告が第四の二の(一)及び(二)において主張する事実のうち、東京都中央渉外労務管理事務所長に対し、原告主張のように佐藤郁子及び大河原敏子に対する出勤停止及び解雇の要求がなされたこと並びに保安解雇の手続に原告の主張するような通常の手続以外の特例の手続が存し、佐藤郁子及び大河原敏子に対する保安解雇がその特例の手続によつてなされたことは知らないが、その余の事実は認める。

保安解雇がその最終決定権者である軍の要求にしたがつて必ずなされなければならないものであるから、不当労働行為の成立を論議する余地がないとの原告の主張には賛成できない。

第六、証拠関係〈省略〉

理由

第一、被告による本件命令の発出

被告が別紙命令書のような内容の本件命令を発し、その命令書の写が昭和三三年八月二三日被告の行政機関である東京都知事に交付されるに至つた経過は、原告主張のとおりに当事者間に争いがない。

第二、本件命令の適否

原告は、被告が本件命令において、原告の佐藤郁子及び大河原敏子に対する保安解雇を不当労働行為に当るものと判断したのは、事実の認定を誤つた結果に基くものであつて、本件命令はその点において違法であると主張する。

そこで、本件命令における被告の事実認定及び判断が果して正しいものであるかどうかについて、以下順次に検討することとする。

一、佐藤郁子及び大河原敏子の組合経歴

被告が別紙命令書の理由中第一の二の冒頭において、訴外佐藤郁子及び同大河原敏子の組合経歴として認定している事実については、当事者間に争いがない。

二、佐藤郁子及び大河原敏子の組合活動

(一)、成立に争いのない乙第二号証の一、二、乙第三号証の一、二、三、乙第四号証の二、三、乙第八号証の一、二及び原本の存在と成立に争いのない乙第一一号証の四によれば、昭和二九年七月四日に在日アメリカ陸軍第二九技術大隊に勤務する日本人労働者によつて全駐労東京地区本部の支部(以下組合という。)が結成されたが、当初これに加入した者は大部分同大隊の第九五中隊に勤務する従業員で、佐藤郁子及び大河原敏子の勤務していた第三四中隊からはその従業員約三五〇名中僅かに右両名及び富山郁子(当時の姓は菊池。)の外男子の従業員二名が加入したに過ぎず、当時第三四中隊の他の従業員は、労働組合に加入すると軍からにらまれはしないかということを恐れたのみならず、職人気質の技術者が多かつたため、一般に労働組合運動には消極的な態度をとつていたが、佐藤郁子及び大河原敏子がこれらの従業員に対し熱心に組合加入の説得を続けたのみならず、更に同年九月全駐労により特別退職手当獲得闘争のための全国的ストライキが行われた際、これに参加しないで就労のため職場内に泊り込みをしようとする従業員に対し、ストライキへの協力と組合への加入を熱心に要請したことがあり、右両名のこのような働きかけも大きな原動力となつて、組合結成後一、二ケ月の間に第三四中隊の従業員で組合に加入する者が一躍約一〇〇名に増加するに至つたことが認められる。

もつとも原本の存在と成立に争いのない乙第一号証の二五及び乙第六号証の二並びに証人岡富慶三郎の証言によると、昭和二九年七月当時における組合の組合員数は従業員九九二名中二七〇名であつたところ、同年一〇月当時においても、従業員数は九四六名となつたのは、組合員数は依然として二七〇名であり、昭和三〇年四月に至つて組合員数が従業員九六九名中三〇〇名となつた旨の届出が組合から東京都渋谷渉外労務管理事務所になされていることが認められる。

しかしながら、成立に争いのない乙第一号証の三九、乙第八号証の一によれば、組合の結成された当時組合員数は約六〇名に過ぎなかつたが、組合の執行委員長であつた大木重盛は、軍が組合の結成されることを極度に警戒しており、結成された組合が右のような小規模のものであることが軍に知れると、幹部の解雇その他の方法で軍からの支配介入が加わるおそれもなくはないと考えていた事情もあつて、当時東京都渋谷渉外労務管理事務所の柴田課長から、かつて駐留軍労務者の組織する労働組合が結成後間もなくつぶれた例があるが、その心配はないかといわれたのに対し、二五〇名ないし二六〇名の組合員を擁する組合であるから、そのおそれはない、と答えたり、組合結成後三日目に組合員数を二一三名と掲示したりして、組合員数を誇大に宣伝していたことが認められることからすると、右に認定したような東京都渋谷渉外労務管理事務所が組合からの届出によつて把握した組合員数は必ずしも実際に合致するものではなく、したがつてこの数字だけから直ちに前段に認定したような組合結成後における組合員増加の事実を否定することはできないものというべきである。

(二)、成立に争いのない乙第二号証の一、二、乙第三号証の三、乙第四号証の一、乙第八号証の一、二によれば、佐藤郁子及び大河原敏子は、被告が別紙命令書の理由中第一の二の(2)において認定しているような組合の各種闘争にその都度参加しこれら闘争に協力するよう従業員を説得したり、歌の指導によつてピケ隊員の志気をふるい立たせたり、座り込みや泊り込みをしたりしたことが認められる。

(三)、成立に争いのない乙第二号証の一、二及び証人伊勢俊正の証言(但し、後記採用しない部分を除く。)を綜合すると、前記第二九技術大隊において労務者の一週間の勤務時間が四〇時間に削減されようとしたのに対し、収入の低下をもたらすものであるとして、組合は、昭和三〇年九月からこれに反対する闘争を行つたが、その末期に近く、軍、及び東京都渋谷渉外労務管理事務所の各係官並びに組合の役員が出席していわゆる三者会議が開かれ、右勤務時間削減問題に関する論議が続けられたことがあつたのであるが、佐藤郁子も同年一〇月二四日及び同月二九日の会議に執行委員として出席し、その勤務する第三四中隊の給与状況等を説明するとともに、実質的な賃金引下げと考えざるを得ない勤務時間の削減には絶対に反対である旨を強硬に発言し、(佐藤郁子が右二回の三者会議に出席して発言したことだけは、当事者間に争いがない。)軍側から出席したパドベリ労務連絡士官を鋭く追及するような場面もあつたことが認められる。証人伊勢俊正の証言中右認定に牴触する部分は措信できない。

(四)、成立に争いのない乙第二号証の一、乙第四号証の一、乙第八号証の一によれば、かねがね第三四中隊の従業員は昇給が適正に行われないとして不満を抱いていたが、昭和三〇年三月頃同中隊の中のムルチプレツクス職場において昇給の不公正が是正されたことに刺戟され、他の職場においても従業員が昼休や勤務時間後に会合を開いて対策につき協議し、軍と折衝した結果、軍も早急に第三四中隊の各職場間における従業員の給与の不公平を解決する旨組合に通知したのであるが、同年七月に実施された昇給が、組合のみるところでは、第三四中隊の従業員に関する人事及び給与について実権を握つているものと思われる水野特殊通訳と親しくしていた麻雀仲間の者のみに厚く、他はほんの申訳的なものに過ぎないと考えられたことから、組合より軍側の前田管理人等に抗議がなされたのであるが、佐藤郁子はこの抗議に加つて水野特殊通訳を激しく追及したことが認められる。

(五)、成立に争いのない乙第三号証の二、三、乙第四号証の一、三、乙第八号証の一、二によれば、佐藤郁子及び大河原敏子は、いずれも組合の青年婦人部に所属し、教宣活動及び文化活動に特に熱心で常々ゲートの前で、組合発行のビラや機関紙等を組合員のみならず軍人や職制の者にまで配付したり、資金カンパの運動に従事したり、その他佐藤郁子は演劇関係の、大河原敏子は音楽、映画、美術サークルの責任者として活動したりしていたことが認められる。

(六)、佐藤郁子及び大河原敏子の組合活動の状況は、右に認定したとおりであつたところ、成立に争いのない乙第二号証の一、二、乙第三号証の二、三、乙第八号証の一によれば、佐藤郁子は前記部隊の従業員の間で「女代議士」とい渾名をつけられ、更に同人と大河原敏子は、同一職場の従業員で組合活動に熱心であつた菊池(結婚して富山と改姓)郁子とともに「三羽烏」と呼ばれていたのであつて、菊池郁子が昭和二九年頃結婚し、かつ、健康もすぐれなかつたため、次第に組合活動から遠去かつた後においても、組合活動において常に二人で行動をともにしていたことが認められるので、右両名の組合活動は相当職場に知れ渡つていたことが窺われる。

三、佐藤郁子及び大河原敏子の組合活動に対する軍側の態度

(一)、成立に争いのない乙第八号証の一によると、昭和三一年の春頃佐藤郁子から組合への加入を勧誘された第三四中隊のカート、セクシヨンの武井某がその直後同セクシヨンの監督者であるマツカートニー軍曹に呼ばれて、事情を聞かれた上、「あんな奴とは口を利くな。」といわれた事実のあつたことが認められる。

(二)、成立に争いのない乙第八号証の一によると、組合の結成された後佐藤郁子が休憩時間に第三四中隊の二階の職場に勤務する組合員と連絡をとりに行つたところ、中隊の責任者のダウ軍曹に別室に呼ばれ、従来そんなことはなかつたのに、「二階に行つてはいけないことになつている。」と注意された事実のあつたことが、成立に争いのない乙第八号証の二によると、昭和三〇年の春頃大河原敏子が作業上の必要で二階の職場へ行つたところ、マツカートニー軍曹から、二階より電話があつたが、どんな用件があつたのかと問われ、事情を説明したところ、従来そんなことはなかつたのに、二階へ行くときはことわつて行くようにと注意された事実のあつたことが認められる。

(三)、成立に争いのない乙第八号証の一、二、乙第四号証の三によると、昭和三〇年中のことであるが、佐藤郁子及び大河原敏子が昭和二六年度に採用された女子従業員約二〇名について昇給が規定どおり行われていないとして、園田労務士官や第三四中隊のウイリアムス将校と交渉したことのあつた翌日に、この交渉に参加した同中隊のカート・セクシヨンの従業員の功力庸子及び金子某が水野特殊通訳、ダウ軍曹、マツカートニー軍曹、マツクフオースン軍曹等の前に呼び出されて、煽動に乗つてはいけないといつて厳しく叱責されているのを見かねて、佐藤郁子がその場に赴いて事情を説明しようとすると、「お前の口出しするところではない。出て行け。」、「休憩時間中であろうと今後はカート・セクシヨンに足を踏入れるな。」などと口汚なく罵られたこと、しかもその後で功力庸子及び金子某はマツカートニー軍曹から、今後佐藤郁子及び大河原敏子と交際を続けるならば解雇するといわれたこと、マツクフオースン軍曹は女子従業員の前記交渉の際の模様を撮影して写真を引き伸して大河原敏子に見せ、「お前はどこにいる。」などと訊ねたりしたことのあつたことが認められる。

(四)、成立に争いのない乙第二号証の二、乙第三号証の三、乙第八号証の一、二によると、前出二の(二)で認定した組合の制裁規定反対闘争の状況を放送したテレビのニユースの中に佐藤郁子及び大河原敏子の活動している場面が出ていたのを知つたものとみえ、右両名の職場の監督をしていた今川軍曹が大河原敏子に対し「君はいつからテレビ俳優になつた。ギヤラはいくらだ。」などと皮肉まじりにいつたことのあつたことが認められる。

(五)、成立に争いのない乙第五号証、乙第八号証の一、二によると、大河原敏子は、昇給基準に従えば、その勤務成績の優秀さからみても当然昭和三一年一一月に地形製図技術者の上級一級に昇給するはずであつたにもかかわらず、軍側でその手続をとらなかつたため昇給の選に洩れたところから、組合において軍当局及び所轄渉外労務管理事務所と交渉した結果、漸く昭和三一年一二月一日付で昇給の措置がとられるに至つたことが認められる。乙第七号証中大河原敏子が右のように一応昇給の選に洩れたのは、同人に技術の不足があつたことに原因があつたとの趣旨の部分は措信できない。

以上認定にかかる(一)から(五)までの事実の外、前出二の(三)から(五)までの認定事実を綜合すれば、佐藤郁子及び大河原敏子が勤務していた現地の軍の当局は右両名の組合活動に注目してこれを嫌悪していたものと認めざるを得ないのである。

四、佐藤郁子及び大河原敏子に関する保安解雇の理由

原本の存在と成立について争いのない甲第四号証、成立に争いのない甲第五号証、乙第六号証の一によると、佐藤郁子及び大河原敏子に対する保安解雇の理由は、(一)佐藤郁子については昭和二七、八年頃から、東京都内の同人の住所において日米労務基本契約の附属協定第六九号第一条a項(2)号に掲げる容疑団体の構成員と常時密接に連携していた外、右団体の印刷物を住所において配布し、職場においてこれを公開したこと、(二)大河原敏子については、前同一の頃から東京都内において前同様の容疑団体の構成員と目される者と密接な連携があつたこと、すなわち両名ともに右附属協定第一条a項の(3)号に該当するというにあつたことが認められるのであり、上掲甲第五号証によれば、叙上のとおり佐藤郁子に対する保安解雇の理由とされた、同人が容疑団体の印刷物を職場において公開したというのは、「アカハタ」を職場において読み聞かせたとの事実を指すものであることが認められるけれども、それ以上に、右両名について右附属協定第六九号第一条a項(3)号に該当するものと認められるべき如何なる具体的な行為があつたかということに関しては、原告から何らの主張も立証もなされるところがないのである。

五、佐藤郁子及び大河原敏子に対する保安解雇と不当労働行為

原本の存在と成立について争いのない甲第四号証、乙第一号証の二九、成立に争いのない甲第五号証、乙第八号証の一によると、日米労務基本契約及びその附属協定第六九号による保安解雇の手続は、通常の場合には、現地の施設又は部隊の指揮官がある労務者について保安上の危険がある旨の情報を入手したときに、都道府県渉外労務管理事務所長に対し当該労務者の出勤停止を要求するとともに、同所長の意見を徴した上で再調査をなし、出勤停止の解除か又は解雇勧告かのいずれかに決定し、後者の決定をしたときにおいては、一件書類を附して上級司令官に上申すると、同司令官は、調達庁長官の意見を徴し、司令部内に特設の保安審査委員会に対する諮問を経て保安解雇に関する最終決定を下すことになるのであるが、そのほかに上級司令官が直接ある労務者について保安上の危険がある旨の情報を入手したときには、調達庁長官に対する意見要請及び保安審査委員会への諮問を経て保安解雇に関する最終決定を下す特例の場合とがあり、佐藤郁子及び大河原敏子に対する保安解雇は後者の手続にしたがつてなされたものであるが、このような特例の手続においては、当該労務者の勤務する現地の施設又は部隊の指揮官は保安解雇の理由の有無についての認定には関与するところがないのみならず、そもそも保安審査委員会の審査においては、保安解雇の基準に密接又は直接に関係のある情報のみが考慮され、本人の組合活動その他米国の保安に関連のない事項は斟酌されないことになつていることが認められる。しかしながら右に述べたような建前が実際にそのとおり貫徹され、駐留軍労務者に対する保安解雇についての実質的な決定権者である軍司令官がその決定をするに当つて絶対に不当労働行為の意思を持つ余地がないと断定するに足りる制度的保障なりその他の根拠の存することを認めるに足りる証拠はないのみならず、殊に本件の場合においては、先に認定したように佐藤郁子及び大河原敏子の組合活動をその勤務先である現地の軍当局が極度に嫌つていた事情があり、しかもその上級司令部が現地当局とは全然無関係に右両名に対する保安解雇についての決定をしたという特段の事情のあつたことについて何らの立証もなされていない以上、佐藤郁子及び大河原敏子を保安解雇すべきものと決定した軍当局に絶対に不当労働行為の意思がなかつたものとは結論し得ないのである。更に右両名に対する保安解雇の基準とされた前記附属協定第一条a項(3)号に該当する具体的な事実が本件において原告により証明されるところがないことを合わせ考えるときは、原告から佐藤郁子及び大河原敏子に対して保安解雇の意思表示がなされるに至つた決定的な理由は、軍が右両名の組合活動を嫌悪し、これをその職場から排除しようとした点にあるものと推認せざるを得ず、上述のとおり駐留軍労務者の保安解雇が最終的には軍当局の決定するところに委ねられているものであるからには、叙上のような軍の意図に基いて、原告から佐藤郁子及び大河原敏子に対してなされた保安解雇の意思表示は、労働組合法第七条第一号に牴触するものといわなければならない。

六、結論

してみると原告が佐藤郁子及び大河原敏子に対してした保安解雇の意思表示を不当労働行為に当るものとしてその救済を命じた初審命令を維持し、原告の再審査申立を棄却した本件命令はまことに相当であつて、右命令には原告主張のような違法はないものというべきである。

よつて本件命令の取消を求める原告の請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 石田穰一 半谷恭一)

(別紙)

命令書

東京都千代田区丸の内三丁目一番地

再審査申立人 東京都知事 安井誠一郎

東京都港区芝浜松町三丁目一番地

再審査被申立人 全駐留軍労働組合東京地区本部

執行委員長 粕谷喜代次

東京都北区上十条二丁目二番地

同 全駐留軍労働組合東京地区本部地図局支部

執行委員長 小松幸一

右当事者間の昭和三十三年(不再)第五号事件につき、当委員会は、昭和三十三年八月二十日第三百十九回公益委員会議において、会長公益委員中山伊知郎、公益委員藤林敬三、公益委員吾妻光俊、公益委員中島徹三、公益委員兼子一、公益委員林武一、出席し合議の上左の通り命令する。

主文

本件再審査申立を棄却する。

理由

第一当委員会の認定した事実

一、佐藤郁子及び大河原敏子の解雇に至る経緯

佐藤郁子(以下佐藤という)は昭和二十六年四月九日、大河原敏子(以下大河原という)は昭和二十五年七月十四日、いずれも、いわゆる駐留軍間接雇用労務者として申立人に雇用され、在日米極東陸軍地図局(右両名の雇用された当時は米陸軍第六十四基地工兵技術測量大隊と呼称したが、昭和三十年、同第二十九基地工兵技術測量大隊と改称、さらに翌三十一年末在日米極東陸軍地図局と変更された)に地形製図技術者として従業していたが、同時に全駐留軍労働組合東京地区地図局支部(以下組合という)(昭和二十九年七月四日組合結成当時は全駐労東京地区第六十四部隊支部と呼称したがその後部隊名の変更に伴つて同第二十九部隊支部、ついで同地図局支部と改称された)の組合員であつた。

しかるところ、昭和三十二年二月十四日付東京都中央渉外労務管理事務所長通知により佐藤は同月十六日以降大河原は同月十四日以降それぞれ出動を停止され、同月二十七日付をもつてそれぞれ解雇された。

右両名に対する解雇の理由は、保安上の理由であるとされたほか、その具体的内容は明かにされなかつたが、右解雇に先立ち昭和三十一年八月八日、調達庁は米極東陸軍司令官から右両名について労務基本契約附属協定第六十九号第一条(a)項の容疑について意見を求められ、調査の結果、同年十一月二十一日同条(a)項(3)号「前記(1)号記載の活動に従事する者又は前記(2)号記載の団体若しくは会の構成員とアメリカ合衆国の保安上の利益に反して行動を為すとの結論を正当ならしめる程度まで常習的にあるいは密接に連繋すること」に該当する旨を回答した事実が認められる。

二、佐藤及び大河原の組合活動

佐藤は昭和二十九年七月四日前記部隊に勤務する従業員をもつて全駐労東京地区第六十四部隊支部が結成されると同時にこれに加入し、青婦人部員となり昭和三十三年三月には同組合の執行委員に選出され、教宣部副部長となり、昭和三十年五月右執行委員を辞任した後は教宣部、青婦人部員となり、さらに昭和三十二年一月以降職場委員をも兼ねていたものであり、大河原は右組合結成の直後である昭和二十九年七月七日これに加入し、青婦人部員及び職場委員となり、昭和三十年三月には会計監査に選出され青婦人部員をも兼ね昭和三十一年五月会計監査を辞任した。この間、両名は次のような組合活動を行つた。

(1) 両名は日常の組合活動については常に行動をともにし、女子組合員富山郁子(旧牲菊地)を加えて「三羽烏」と呼ばれていた(但し富山は昭和二十九年結婚後は組合活動に余りタツチしなかつた)ものであるが、特に両名は休憩時間等を利用し同僚に対して極めて熱心に組合加入を勧誘し、ために両名の属する三十四中隊(従業員三百五十名前後)の組合員は結成当初両名を加えて僅か四、五名程度であつたものが、一、二カ月のうちに百名前後に増加するに至つた。

(2) 両名は組合の行つた特別退職手当獲得闘争(昭和二十九年九月実施)、時間削減反対闘争(昭和三十年十月実施)、制裁規程反対闘争(昭和三十一年八月実施)、人員整理反対闘争(同年九月実施)等にはその都度参加し、説得、ピケ隊の歌指導等を行い、又泊り込みをも行つた。

(3) ことに佐藤は昭和三十年十月二十四日に東京労務連絡事務所において行われた三者会議(部隊、労管及び組合)、及び同月二十九日渋谷渉外労務管理事務所において行われた三者会議(同上)に出席して積極的に発言した。

(4) また、佐藤は他の組合役員とともに昭和三十年夏頃、昇給が公正になされていないとして部隊の前田管理人等に対して抗議したが特に佐藤は中隊の人事関係担当の水野に対し激しく追究し、結局右昇給の不均衡は是正されるに至つた。

(5) 大河原は諸種のサークル活動を担当し昼休を利用して活動したほか、佐藤とともにゲートの前において常にビラ、機関紙等を配布し、又資金カンパを行つた。

第二当委員会の判断

佐藤、大河原両名の組合活動は前記認定のごとく活溌なものであり、特に両名は常にゲートの前においてビラ或いは組合機関紙を組合員のみでなく軍人、チーフ、警備員等にも配布していたこと、三者会議に出席して積極的に発言したこと、前示のごとく両名の組織活動及びサークル活動は主として休憩時間中に行われたためその活動が特に目立つていたこと、賃金問題に関する職場会議の指導者が右両名であると管理者側から見られていたこと、マツカートニー下士官は右両名から組合加入を勧誘された一部従業員に対し「佐藤及び大河原と交際するな、さもないと馘だ」との発言をしたこと、さらに昭和三十一年八月頃今川軍曹は大河原に対し右両名がピケラインに参加した際のテレビのニユースをもとにして厭味をいつたこと、又、大河原は昭和三十一年十一月には調達庁労管第一、〇一七号の内規によつて当然地形製図技術者上級一級へ昇進する時期に達していたが、同人の勤務成績を特に不良と認むべき理由もないにも拘らず昇級該当の申請から除外されたこと、等からすると軍側において両名の組合活動に着目し嫌悪していたことは、推認するに、難くないところであつて、一方両名は先任逆順による人員整理において容易にその対象とならないこと、等を併せ考えると本件出勤停止及びこれに続く解雇は、再審査申立人の主張する解雇理由が納得するに足るものでない限り、不当労働行為を推認せしめるに十分であるといわなければならない。

しかして、再審査申立人が両名の解雇理由としてあげるものは「保安上の理由」であり、調達庁長官においても調査の結果「佐藤は都内の破壊的団体構成員と常時密接な連携、協力をしていた、又破壊的団体の関係している印刷物を配布しまた公開した事実がある。大河原は破壊的団体の構成員の人、数名と密接な連携があつた。又破壊的団体の指導する活動に参加した」との結論を得、軍側に対してもその旨回答したというのであるが、これを裏付ける証拠はもちろんその具体的説明すらないのであるから右調達庁長官の同意あることをもつて直ちに本件解雇が保安上の理由によるものと認めるのは困難であり、軍側が反組合的意図を有し右両名を嫌悪していた前示諸事情に徴すれば、地図の製作を目的とする部隊が高度の機密保持を必要とすることを考慮しても、なおかつ軍側は保安上の理由に藉口して右両名をその活溌な組合活動の故に解雇した不当労働行為であつて労働組合法第七条第一号に該当するものと判断せざるを得ない。

以上のとおりであるから本件再審査申立は理由がなく、初審判断は正当である。よつて労働組合法第二十七条、第二十五条、中央労働委員会規則第五十五条を適用して主文の通り命令する。

昭和三十三年八月二十日

中央労働委員会

会長 中山伊知郎

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例